本日取り上げるのは、「不登校の主要因」についてです。
長野県にあるフリースクールを運営する団体が昨年行なった「子どもが不登校になった要因」についてのアンケート結果を、3月6日に朝日新聞デジタルが以下の記事で取り上げておりました。
調査結果を参考にしつつ、
「不登校の主要因をつきつめようとすることの意味」と「不登校の子どもの為に考えたいこと」を私なりに整理したいと思います。
「不登校の主要因について」の調査結果の比較
不登校の要因についての調査は、文部科学省をはじめとする複数の団体により実施されております。
ここでは、それぞれの結果についての比較をしてみたいと思います。
文部科学省による「不登校の主要因」の調査について
「不登校の要因」と検索すると一番にヒットするのが文部科学省による「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」になります。
この調査結果によると、不登校の要因として多いのが
- 本人の無気力、不安(小学校:50.9%、中学校:52.2%)
- 生活リズムの乱れ、あそび、非行(小学校:50.9%、中学校:52.2%)
という「本人に係る状況」でした。
引用:文部科学省「令和4年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果概要」
有志による「不登校の主要因」の調査について
一方、文科省以外の調査では全く異なる調査結果が明らかになっております。
上記記事冒頭で取り上げた長野県の団体の調査結果については、
無断転載禁止のため記事の概要を以下抜粋します。
・その独自の調査によって得られた回答は文科省調査とは大きく異なった
・文部科学省による調査は「本人の無気力」が最も多かったが、本調査では「先生との関係」が最も多い要因として挙げられた
・結果が異なった要因としては、文部科学省の調査は「教師に対して調査を実施している」ことが挙げられる
参考:朝日新聞デジタル「不登校の主要因は『本人の無気力』より『先生との関係』 民間が調査」
NHKによる「不登校の主要因」の調査について
「教師との関係」が不登校の要因として多数を占めるという同様の結果は、NHKによる調査でも明らかにされております。
NHKの元記事がどうしても見つからなかった為、以下不登校新聞の記事を引用いたします。
・調査対象:2018年度に「不登校」もしくは「不登校傾向」があった中学生1968名
引用:不登校新聞「中学生に直接聞いた不登校理由、国の調査と大きな隔たり」
・文科省は教師に対する調査であるのに対し、NHKは「不登校」もしくは「不登校傾向」のある中学生に対する調査であることが差異の要因と考えられる
・顕著な差が認められた要因としては、「教員との関係」(NHK:23%、文科省:2.2%)、「いじめ」(NHK:21%、文科省:0.4%)、「部活動」(NHK:21%、文科省:2.7%)、「決まりや校則」(NHK:21%、文科省:3.5%)が挙げられる。
不登校の主要因をつきつめようとすることの意味
上記見てきたように、「不登校の主要因」についての調査結果は対象によって大きく異なります。
「実態を知る」という意味では、当事者である不登校児童生徒本人に聞いた調査の方が適していると私は感じます。
ただし、ここで改めて私は「主要因をつきとめることの意味」について考えてみたいと思います。
私の考えは以下の通りです。
・国や自治体、学校の単位で不登校の子どもたちの支援を考える際には、不登校の主要因を考えることは意味がある
・目の前の不登校の子どもの支援を考える際には、不登校の主要因を考えるよりも、今子どもが求めていること(ニーズ)を考えたい
不登校の主要因をつきつめようとすることの弊害
- 不登校の要因は複雑に重なり合っていることも多い
- 子ども自身も要因がわからないことも多い
- 「要因がわかれば、すぐに解決に繋がる」わけではない
- 以上の理由から、
主要因をつきつめようとすることがむしろ子どもを追い詰めることになる可能性がある
今回の実態調査で、不登校傾向の子どもたちに「学校に行きたくない/行けない要因」を複数回答で調査したところ、1人が約6つほどの理由を選択するという傾向が。ここからは、子どもたちが抱えている課題は複合的なのではないかと推測されます。今村は、「何か一つの要因を探すのではなく、構造を把握していく必要があるのではないでしょうか」
引用:認定NPO法人カタリバ『不登校傾向』が5年間で8万人増。カタリバ独自調査と支援現場の声で考える不登校の課題とこれから」
不登校の子どもの為に考えたいこと
不登校の主要因について まとめ
「不登校」の検索結果を見ると「不登校 要因」というキーワードが多く検索されていることがわかります。
ご自身の子どもが不登校になった際、「なぜそうなったのか?」を考えようとすることは自然ですし、重要なことであるかと思います。
しかしその理由は往々にしてネット上には存在せず、むしろネットの情報に振り回される危険性がとても高いように私は感じます。
というのも、
一個人を深く理解しようとする場合には、
「大多数」や「平均」といったものはむしろ個人の理解の疎外要因になり得ると私は考えるからです。
(そもそも調査結果が歪んでいる可能性や、ネット上の意見が偏っている可能性も大いにあります。)
「多くの子どもがこうだから、この子もそうに違いない」といった考えは、
目の前の子どもを見る目を曇らせてしまうかもしれない。
そのことに自覚的でいたいと私は思います。