感動する瞬間を繰り返し思い出すと、いろいろな考えが浮かんでくる。
またまた、前回のシュノーケリングで感動したお話。
シュノーケリングの体験があまりにも素晴らしく、
人生に組み込むパーツにしたいと思った、ということを述べたが、
この考えが生まれたことが、私自身少し不思議だった。
というのも、昔から家族がシュノーケリングが好きだった関係で、
何度も何度もシュノーケリングをしたことはあったからである。
その十数回を経て、なぜこの1回でそこまで感動したのだろうか。
昔から親をはじめ、大人たちが口にする「何歳になってもそのまま」という台詞。
私が大人と言われる年齢になったとき、私も同様に感じていた。
20歳になったからと言って、知識が増え、あらゆることがわかるようになる訳でもなく、
30歳になったからと言って、世界の見え方が変わる訳でもない。
自分の性格や特性、好きなことは大して変わらず、
なんとなく鬱陶しい、いつの間にか大きくなってしまった数字をぶらさげた、
子どものままの自分がいるだけである。
そう思っていたのだが、
一つ自分が大人になった?、と感じる
ターニングポイントを見つけた。
それはある瞬間、立ち止まれるようになったとき。
子どもの頃、楽しいことも辛いことも、あっという間に目の前を通りすぎていっていた。
青春なんて呼ばれるその時はまさに!で、
猛暑の夏休みに体育館を締め切って、大粒の汗を滴らせながら部活をし、
達成感と疲労感を味わいながら、
疑うこともなく誇らしげに、足が短く見える位置までズボンを下げ、
気だるそうにエナメルのカバンを斜めにかけて、
昨日と同じ仲間たちと、思い出すこともできない些細な会話をしながら、あの日々。
そして、気づいたら卒業して、気づいたら働いていた。
あの瞬間、言葉で「青春だ〜」なんて、よくその意味もわからず口にしていた気もするが、
大してその瞬間を、その時に、味わうことはしなかった。もしくはしようとも思わなかった。
しかし、いつ身につけたのかはわからないが、
今私は、あ、今、立ち止まりたい、と思った瞬間、立ち止まれるようになった。
私はこの瞬間を忘れたくないな、と思った時、ふと、息を止め、深呼吸をする。
世界の透明度が少しだけ上がり、私の五感がほんの少しだけ鋭くなる。
今までなんとなく連れられるがままに海に入り、
時折波に流される怖さとシュノーケリングが曇る煩わしさに気をとられ、
自覚できなった心の動きに、今は気づくことができる。
そして、私が今、目の前に広がる神秘に満ちた美しい世界に包まれていることを知る。
30年経って自覚する変化は、これだけかもしれない。
しかし私はこの変化を、とても尊く感じる。