今回ご紹介するのは、
「勉強の哲学 来たるべきバカのために 増補版 」です。
ふらっと本屋に立ち寄って、目に留まった本を買うのが好きなのですが、
そうやって出会ったのが本書です。
ぺらぺらとめくって出会った
「勉強とは、かつてのノっていた自分をわざと破壊する、自己破壊である」の文章に釘付けになり、
購入を決めました。
2017年4月発売にも関わらず、今も本屋に平積みされている人気書籍です。
しかし侮るなかれ、面白くて興味深い、一方で、む、難しい・・・笑
要約するのも必死ですが、自分に内容を染み渡らせる為にも頑張って要約します!
「勉強の哲学 来たるべきバカのために 」要約
なぜ人は勉強するのか?
深く勉強することとはどういうことなのか?
著者は言います、
勉強する目的は、ノリが悪くなることである ≒ ノリから自由になることである。
勉強の目的について
背景:私たちは日頃、同調圧力によって、できることの範囲を狭められてきました。
目的:その限界を破って、人生の新しい「可能性」を開く為に、深く勉強する必要があります。
ステップ:以下の段階を踏みます。
第一段階:単純にバカなノリに合わせている
第二段階:いったん昔の自分がいなくなる
第三段階:来るべきバカに変身する
上記解読すべく、以下順を追ってご説明します!
ノリのメカニズム
私たちは常に”環境” = 他者との関係の中で生きています。
その”環境”には目的があり、その目的によって人々を結びつけています。=共同化
人々が結びつく(共同化する)為には、
目的的、共同的な方向づけが必要であり、そこには環境のコードと呼ばれる”ノリ”が存在します。
その“ノリ”に私たちは無意識に”ノっている”のです。
ノリから自由になる為に
“環境”に存在する”ノリ”に流されないようにする為には、
その場にいながら距離をとることが必要になります。
では、それはどうやって距離をとるのか?
大前提として、自分が従っているコードを客観視したうえで、
以下2つの思考スキルが必要だと筆者は言います。
・ツッコミ=アイロニー
・ボケ=ユーモア
アイロニーとユーモア
アイロニーとユーモアについて説明する為に、以下の芸能人の不倫報道の例を取り上げます。
アイロニーとは、コードを疑って批判すること
例)芸能人の不倫報道について、友人と会話している際
A「見たー?ニュース!○○が◯◯と不倫したんだって〜!」
B「えー、さいてー!〇〇、確かに不倫しそうなタイプだと思ってた〜!」
C「ほんとひどいよね」
D「え、でもさ、不倫ってそもそも悪いんだっけ?」
上記の例を、
ノリ=環境のコード、コードを疑って批判する=アイロニーの観点で整理すると以下になります。
・”不倫を非難”するノリ ▶️ 環境のコード
・そこに対して、「”不倫=悪”というする根拠は?」と問いかける ▶️ アイロニー
ユーモアとは、見方を変えること
先ほどの事例で、ユーモアのバージョンを見てみましょう。
例)芸能人の不倫報道について、友人と会話している際
A「見たー?ニュース!○○が◯◯と不倫したんだって〜!」
B「えー、さいてー!〇〇、確かに不倫しそうなタイプだと思ってた〜!」
C「ほんとひどいよね」
D「不倫ってさ、音楽なんじゃない?」
上記の例を、
ノリ=環境のコード、見方を変える=ユーモアの観点で整理すると以下になります。
・”不倫を非難”するノリ ▶️ 環境のコード
・そこに対して、”不倫=音楽”という別の見方へと話をひねる ▶️ ユーモア
ユーモアの場合は、コードは壊されずに、拡張されるイメージになります。
深い勉強とは?
上記をふまえ、深い勉強の方法とは以下であると著者は述べます。
1. アイロニーから始め、過剰化せずユーモアへ転回し、
2. ユーモアの過剰化を防ぐために、形態の享楽を利用
3. 享楽の硬直感を防ぐために、アイロニカルにその分析をする
どうでしょうか?難しすぎます笑、
こちらも一つずつ説明するともはや要約ではない気がするので、
上記を私なりにわかりやすい言葉に噛み砕きながら、説明します。
しかし、根拠の疑いは際限がない為、ある程度のところで諦め、
別の見方(ユーモア)へと切り替えます。
ただし、別の見方についても、別の見方をし続けようとすると際限がない為、
自身が意味もなく持っているこだわり(形態の享楽)を頼りに、見方を一旦固定します。
その自身のこだわり(形態の享楽)自体も、勉強を通して変化していく可能性があることを前提に、自身のこだわり(形態の享楽)自体に対しても、根拠を疑い(アイロニー)、固定化させないことが求められます。
全然噛み砕かれていないですね笑
読んでいない方向けにもう一段!
ある程度の段階で、”見方を変えていく”という方法をとります。
最終的に”どの見方で見るか?”については、”自分のこだわり”によって決まるものです。
しかし、”自分のこだわり”自体に対しても、根拠を疑う姿勢を持ち続けることが重要です。
あってるんですかね笑
一応私はこのように解釈しました。
「勉強の哲学 来たるべきバカのために」感想
たまたまひとりごとにて、「学びを深める為に」ということを考えていた最中、本書に出会いました。
なぜこんなに「学ぶこと」に興味があるかというと、私は現在子どもたちと関わる機会が多く、
「なんで勉強しなくちゃいけないの?」という疑問に常に晒されている(と思っている)からです。
もちろん絶対的な答えはありませんが、どんな視点が目の前の子に刺さるかわからないので、
できればその疑問についても、様々な角度から検討してみたい。
ということで、色んな意見を取り込んでみております。
同調圧力を嫌悪しております私個人の嗜好では、
「ノリから離れる為の勉強」という本書の視点は、
なんて言うのでしょう…
少し”勉強”というものに、生きやすくなるヒントをもらえたような、
そんな感覚を得ることができました。
そう考えると、
・勉強って当たり前にするものじゃん ▶️ 環境のコード
・そもそも勉強ってなんでするの? ▶️ アイロニー
・哲学の観点から勉強を考えてみる ▶️ ユーモア
・同調圧力が嫌い ▶️ 形態の享楽(自身のこだわり)
今の私の学びは、上記のように整理できるのでしょうか?
とするとここで私はまた、「同調圧力、そもそもなんで嫌いなんだっけ?」と
私の形態の享楽(自身のこだわり)に対しても、
アイロカルに疑いを向けていかなくてはいけないということになります。
大分ややこしい感じの話になりましたが、
今ノリが悪い人にも、今ノリにノっているけれど、そこに疑問を感じている人にも、
是非届いて欲しい一冊です。