今年の目標の1つとして、”お気に入りの本と5冊出会う”というものがあるのですが、
早くも2冊目に出会ってしまった…!と運命を感じた、
誰かのことを想うみなさまにおすすめしたい
「雨の日の心理学 こころのケアがはじまったら」をご紹介します。
(1冊目は?って感じですよね。こちらも別途記事にします。)
「雨の日の心理学 こころのケアがはじまったら」のあらすじ
『雨の日の心理学 こころのケアがはじまったら』は、臨床心理士・東畑開人さんが「こころのケア」について、専門性と日常感覚のあいだをつなぐような語り口で綴った一冊です。
災害支援や相談現場での経験をもとに、”ケア”と”セラピー”、”きくこと”と”おせっかい”など、こころのケアにまつわる考え方を、私たちの生活に引き寄せながら語ってくださります。
学びポイントと感想
全編にわたり学び深いのですが、なかでも文字に残しておきたかったのが以下の2点です。
内容と、感想両方を置いておきます。
- “ケア”と”セラピー”
- “きく”と”おせっかい”
“ケア”と”セラピー”
東畑さんによると、人との関わりには二種類あります。
・ケア:傷付けないこと、ニーズを満たすこと、依存を引き受けること
・セラピー:傷つきと向き合うこと、満たせないニーズを変更すること、自立を促すこと
そして、ケアが先で、セラピーが後。だそうです。
例えば…
「友達に嫌なことをされている」と子どもが打ち明けてくれたなら、今度は親が仕事をする番です。親が学校に行って、先生と話し合いをして、子どもが学校に行っても傷付けられない環境を整える訳です。これはケアです。そのうえで「先生と話してきたよ、あなたと話したいって先生は言ってくださってたよ。一緒に行ってみない?」とこどもに声をかける。もう一度子ども本人が勇気を出すタイミングがやってきます。これはセラピーです。ケアとセラピーがぐるぐる回ることによって、僕らのこころは少しずつ安定したり、回復したりしていく。こういうイメージですね。成長とはケアとセラピーのほどよいリズムで可能になるものです。
不登校との接続
ご自身との関わりを振り返ってみて、ケアとセラピーどちらが多くなっていそうでしたか?
私は、今平行して「ゲームと不登校」というゲーム依存に対する警鐘を鳴らすほんを読んでおり、
それを少し思い出しました。
学校に行けず、塞ぎ込んで自宅で過ごすこどもに、ケア的な関わりの一環としてゲームを許す。
すると、こどもは活き活きとし、目を輝かせる。
しかし、いつの間にか1日中ずっとゲームをする日々が1ヶ月、半年、一年と過ぎる。
まさに、ケアが過多になり、セラピーの入り込む余地がなくなっている状態と捉えることができないでしょうか?
このように、状況や関わりをケアとセラピーという補助線で整理することで、
発見できることがあるかもしれません。
“きく”と”おせっかい”
次に、”きく”と”おせっかい”についてです。
特に心理分野における”ケア”、というと”きく”ことが重要な要素になることはピンとくるかと思います。
しかし、東畑さんは”おせっかい”も大切な”ケア”の一つだと言います。
こころのケアには「きく」と「おせっかい」の二つの方法がある。
きくは内面の変化を、おせっかいは環境の変化を目指している。「きく」が直接的に狙っているのは、ご本人の傷が癒されたり、感じ方が変わったり、考え方が整理されたり、ゆるまったりすることです。
でもね、内面的な変化というのは悲惨な状況に置かれているときには無理な要求になってしまいます。
暴力をふるわれているなら、割って入って暴力を止める。
お金がないなら、給付金の申請を手伝ってあげる。
お腹が減っているなら、食事をふるまう。即物的なおせっかいがこころのケアになる。
(一部中略)
物質的なことや具体的なことが、ケアに繋がるという捉え方です。
ちなみに、おせっかいという表現は、目の前のニーズを満たすこととも表現されています。
そして、外(おせっかい)が先、内(きく)が後。
不登校との接続
上記の内容、不登校の子たちに対する意識、行動においても重要なことに感じます。
いじめ、教師とのトラブル、原因がわからない体調不良…等々、
不登校の背景にはいろいろな原因とニーズが存在しますが、
多くの場合まず必要なのは、現実的な対処ではないでしょうか。
いじめや教師とのトラブルがあったのならば、その対応を。
体調不良ならばまずは休息を。
私がこどもたちと関わっている際にも、
まずは本人たちのニーズは何か?を観察するところから始めています。
大してよくわからない人に、何か話したくもないでしょうし。笑
そして不登校においては、不登校のきっかけと別に不登校が継続している原因が別にあることもある、ということは調査でも言われていることですが、
実際に不登校の状態が続くと、徐々に生活サイクルの乱れ、運動機会の不足、睡眠不足、食欲減退等、
生活レベルでのニーズが生じることがあります。
心をケアすることも大切ですが、それ以外にも目を向ける。
カウンセリングとか心理療法っていうものにこだわりすぎないことは、
心理を学ぶ人間として改めて心に留めたいことだと感じました。
「雨の日の心理学 こころのケアがはじまったら」感想
本書を読んで、”専門的な知識と日常生活をつなぐ”スタイルが、
まさに私もこのブログでやっていきたいことだなあと改めて感じました。
(こんなにわかりやすく、細かく噛み砕き、まるっと整えることはまだまだできませんが。)
また、あらゆるところから「完璧はないから、頑張りすぎないでね。お互いに。」というメッセージが感じられるところも好きなところ。
私の好きだった箇所を以下にお裾分けです。
ケアってね、無限に失敗する営みだと思うんですよ。いっぱいボールを投げて、いっぱい外れる(笑)。野球で言えば、2ストライク14ボールくらいの感じですよ。ときどきしかストライクが入らないノーコンピッチャー。
でも、それでいいんです。14ボールも投げた事実が残るからです。ちゃんとかかわろうとした歴史が、14ボールという記録に刻まれています。
おわりに
東畑 開人さんの著書は、以下を読んでいるのですがどれも好きで…
まだ読んでいない著書も読み終わってしまうのが勿体なくてまだ読めていない。という感じです。
おわりにこちらもちょこっとお裾分け。
↑本書でも記載されている”補助線”という表現がすごく納得感があるんですよね。
世界の見方、解釈の仕方に正解はありませんが、ぐしゃぐしゃな感情や思考に対して、
「こうやって整理してみてみたら、ちょっとスッキリする?」っていう補助線を提供してくださるのが、
おお、心理学って役に立つかも?と思わせてくれます。
↑こちらも”心理士然”としない姿勢に、感銘を受けます。
ご自身のケアの為にも、ぜひ一度お手にとっていただきたい。