今回ご紹介するのは、2019年に発刊され、2020年度の新書部門ベストセラーとなり、
累計発行部数120万を突破した「ケーキの切れない非行少年たち」です。
先日映画評でご紹介した「プリズンサークル」と併せて読むととても理解が深まる内容でしたので、
少し前の書籍ではありますが改めてご紹介します。
私たちは世界を見る時、一人一人「自分の眼鏡」をかけていることをどうしても忘れてしまう。
けれど、一人一人「異なる眼鏡」をかけているのだから、見えている世界は違うのだ。
ということを改めて考えさせられた本でした。
・学校で理解できない子どもがいる
・「境界知能」について知りたい
という方に特にオススメの一冊です。
「ケーキの切れない非行少年たち」の作者
作者は児童精神科医、かつ、立命館大学総合心理学部・大学院人間科学研究科教授でもある
宮口幸治さんです。
もともとは公立精神科病院の児童精神科医をされていましたが、
認知機能に問題がある子どもたちと関わる中で、病院でできることの限界を痛感し、
医療少年院に勤められ、そこで「反省以前である」子どもたちと対峙する中で
学んだ内容をまとめたのが本書となります。
「ケーキの切れない非行少年たち」の目次
目次は以下です。
はじめに
第1章 「反省以前」の子どもたち
第2章 「僕はやさしい人間です」と答える殺人少年
第3章 非行少年に共通する特徴
第4章 気づかれない子どもたち
第5章 忘れられた人々
第6章 褒める教育だけでは問題は解決しない
「ケーキの切れない非行少年たち」 まなびポイント
本書から私が学んだことは大きく以下の3点です。
非行に繋がるプロセスを理解すること
非行は突然降ってきません。生まれてから現在の非行まで、全て繋がっています。
どのように繋がっているかというと、
まず、非行少年に共通する特徴として以下が存在し、
・認知機能の弱さ
・感情統制の弱さ
・融通の効かなさ
・不適切な自己評価
・対人スキルの乏しさ
・(身体的不器用さ)
その特徴により、以下の障害に繋がることを筆者は強調しております。
・1次障害:障害自体のもの
・2次障害:周囲から障害を理解されず、学校などで適切な支援が受けられなかったことによるもの
・3次障害:非行化して矯正施設に入ってもさらに理解されず、厳しい指導を受け一層悪化する
・4次障害:社会に出てからもさらに理解されず、偏見もあり、仕事が続かず再非行に繋がる
筆者の言葉でまとめると、以下になります。
本来は大切に守ってあげなければならない障害をもった子どもたちが、学校で気付かれずに適切な支援が受けられないどころか、さらに虐待を受け、イジメ被害に遭ってきた、そして最終的には加害者になってしまっていたのでした。
映画「プリズンサークル」では、虐待やいじめ、貧困などの幼少期の環境要因が
非行につながっていることに焦点を当てられておりましたが、
本書では生物的要因(境界知能/認知機能の弱さ)に言及しております。
したがって、非行の原因の種類として環境要因のこともあれば、生物的要因のこともあり、かつ多くのケースでその両方が重なり合っていることを理解しなくてはいけないと改めて感じました。
境界知能の少年たちが、 どのように世界を、自分たちを、認知しているか知ること
本書が注目を浴びた際、タイトルにもなっている以下の図が話題となりました。
私たちが「当たり前」だと思って、見ていること、理解していること、は
境界知能の少年たちにとっては「当たり前」ではないことがありありと伝わってきます。
また、成人でも「メタ認知(自身を認知すること)」が重要と言われるほど、
実は自分のことを正しく認知するというのは高度な機能になります。
もし境界知能の少年たちが、自身を認知したら、どのように見えるのか?
非行少年の約8割が「自分は優しい人間だ」と答える。どんなに酷い犯罪を行なった少年たち(連続強姦、一生治らない後遺症を負わせた暴行・傷害、放火、殺人など)でも同様でした。
自身を「優しい人間だ」と思っている少年に対して、大人が一方的に反省を強制しても
反省、そしてその先の行動の改善にはつながり得ません。
まずは正しく認知すること、そこから支援を行う。
その方法として筆者は「認知機能トレーニング(コグトレ)」を挙げております。
少年たちが、変わろうと思うきっかけになりうること
「どんな時に人は変わろうと思うのか?」
この質問は、コーチや臨床心理士を目指す者としては理解しておきたいことです。
著者が挙げていた内容としては以下です。
・被害者の視点に立てたとき
・将来の目標が決まったとき
・信用できる人に出会えたとき
・人と話す自信がついたとき
・勉強がわかったとき
・大切な役割を任されたとき
・物事に集中できるようになったとき
・最後まで諦めずにやろうと思ったとき
・集団生活の中で自分の姿に気付いたとき
太字が外部からの働きかけ、その他が子ども自身の内部の変化です。
上記から考えると、外部からの働きかけとして直接変化を促すことは難しく、
いかに子どもが「自分で変化したい」と思えるきっかけを与えるかが重要であるかがわかります。
だからこそ、本書でも紹介されていた以下の姿勢は忘れないでいたいものです。
子どもの心の扉を開くには、その取手は内側にしかついていない
「ケーキの切れない非行少年たち」の感想
大学院で精神医学を勉強する中でも、
境界性パーソナリティ障害を理解する際に以下のことを学びました。
・患者はメガネをかけている
・そのメガネを通して世界を見ていると、世界が歪んで見える場合がある
(”みんな私のことが嫌い”、”あれは私を侮辱している行為だ” 等)
・治療にあたってはそのメガネをかけていることを本人に把握してもらう
・そのうえで、歪む傾向(歪んで見えてしまう時、歪んで見えてしまうこと)を見つけ、
歪みやすいケースを避ける、もしくは歪んだ時の対処法を学ぶ
境界知能の子どもに対しても、もしくはどんな人と関わる際にも
「同じように世界を見ていない/同じように情報を処理していない」可能性を
私たちは常に意識しなくてはならないように感じます。
例えば
会社でも”デキる”とされる上司から部下に対して
「なんでできないんだ」「こんなこともできないのか」と叱責するケースがあると思います。
しかし境界知能である場合も、そうでない場合も、程度の差はあれ
人によって理解するスピードや理解の方法の得意不得意は存在します。
(目からの情報が処理しやすい、耳からの情報が処理しやすい等)
「同じように世界を見ていない/同じように情報を処理していない」可能性を配慮せず
「頑張りが足りない」「やる気がない」と一方的に判断し、不適切な対応を行うことは
2次障害に繋がりかねません。
本書では、学校という場で境界知能の子どもに気づき、
適切な支援を行うことの重要性が提唱されております。
非行など大きな問題を対処するためには、間違いなく必要な対応だと思います。
ただ一方で、コーチや心理士の立場からすると、犯罪にまで発展しなくても、
世界の見え方の違いが配慮されずに辛い思いをする人たち(子どもも、大人も)が
社会には山のようにいるように感じます。
であるならば、「世界の見え方の違いが存在し、その違いを理解したうえで対応を行うこと」は
教育現場に限らず、社会全体で取り組んでいくべき内容なのではないでしょうか。