【書評】モモ - 「物語」のあり方について –

書評

 

「自分の人生に影響を与えた本」と言われたら、皆様はどの本を想像しますか?

 

私はいくつかあるのですが、せっかくならば過去の作品も思い出したいと思い
幼少期に遡り、記憶を辿っていたら

「なんだかとっても好きだった本」という朧げな記憶とともに、
児童文学として有名なミヒャエル・エンデさんの「モモ」が浮かび上がってきました。

遥かなる時を超えて笑、改めて読んでみたところ、

不朽の名作とはまさに…!と思わせる
素晴らしい作品でしたので、改めて「モモ」をご紹介いたします。

 

「モモ」は1995年に出版されているのですが、2024年現代にも「現代のことを書いているのだろうか?」と思わせる普遍的な問題意識を子ども、というよりもむしろ大人に突きつけるような作品でした。

「モモ」のあらすじ

少女モモが、時間どろぼうからみんなの時間を取り戻す物語。

 

ある日、廃墟に住み着いたモモという少女。

少女は、相手の話を聞くというという才能がありました。

モモに話を聞いてもらえると、人は急に自分の意思がわかり、勇気が出ます。

そうやって街の人たち、子どもたち、そして特別な友達の道路掃除夫ベッポと観光ガイドのジジと

しあわせな日々を過ごしていた、またまたある日、

「時間貯蓄銀行」からやってきた灰色のスーツの男たちが街に現れて世界は一変します・・・。

 

「モモ」の感想

「物語」の素晴らしさを改めて感じた作品でした。

 

「忙しない生活を過ごすなかで、本当の幸せを知らず知らず失っていく社会」

という描写されている内容としては、重く、そしてある意味で耳が痛いような内容です。

 

しかしそれを、物語というファンタジーの世界の中で表現されていたことで、

頭ではなく、心に、じわっと浸透してくるように伝わってきました

 

読んでいる時は、私たち読者を惹きつけ、その世界に没入させ、

ワクワク、ドキドキ、ハラハラといった感情とともに

展開していく温かな世界、冷たい世界、美しい世界、醜い世界を体験させてくれます。

一方で、読み終わった時、急にその世界から現実世界に戻り、

自分自身と現代の社会を客観的に見ている自分に気づきます。

 

その対比によって得られる体験は、まさに「モモ」の物語で描写されていた「円形劇場」の中の体験そのもののようです。

 

「舞台のうえで演じられる悲痛なできごとや、こっけいな事件に聞きいっていると、ふしぎなことに、ただの芝居にすぎない舞台上の人生のほうが、じぶんたちの日常の生活よりも真実にちかいのではないかと思えてくるのです。みんなは、このもうひとつの現実に耳をかたむけることを、こよなく愛していました。」

引用:「モモ」P. 4

 

物語はどうあるべきか? 苦手という意見について考える

一方で、まさに上記の私の感想とは、逆の感想を持つ方もいらっしゃいます。

ファンタジー作家の上橋菜穂子荻原規子はエンデ作品が苦手であると述べており、上橋は『モモ』について、思想やイデオロギーを語るために物語が奉仕してしまっており、自分の好きな物語ではないと述べている
wikipedia:「モモ」

 

私は映画にしても、本にしても、「作った方の強烈な想い」が伝わってくる作品が好きなのですが、

上記のご意見は、物語は「その世界に没入する体験自体に価値がある」という考え方かと思います。

 

しかしそれで言うと、本作品は「想い」もあるけれど、「物語」ならではの世界観がしっかりとあり、

それは著者ミヒャエル・エンデさんがむしろ「物語」というものが持つ、

壮大さ、自由さ、遊びや余白といったものが大好きで、そこを大切にしていたからこそ

実現しているように思えてなりません。

その意味では、私は「モモ」という作品から”物語が奉仕している”とは感じませんでした。

 

色々な感じ方がありますので、あくまで私の感覚のお話です。
どちらかというと、この物語に対して反対意見はこのようなものがあるのか・・・。と考えることで、自身の感想が深まるのでありがたいことです。

 

「モモ」の好きなシーン / セリフ

様々なセリフに出会えることも、私が「モモ」が好きな理由です。
ありすぎて絞りきれなかったのですが、いくつかご紹介します。

 

小さなモモにできたこと、それはほかでもありません、あいての話を聞くことでした。(中略)だれにだってできるじゃないかって。でもそれはまちがいです。ほんとうに聞くことのできる人は、めったにいないものです。

引用:「モモ」P. 25

コーチング、臨床心理学を学んでいる身としては、上記のセリフは感じるものがあります。

本当に相手と、相手が語ること、語らないことに関心を持ち、判断することなく、そのままを聞こうとすることは難しく、でも、だからこそ価値がある。

 

ベッポの考えでは、世のなかの不幸というものはすべて、みんながやたらとうそをつくことから生まれている、それもわざとついたうそばかりではない、せっかちすぎたり、正しくものを見極めずにうっかり口にしたりするうそのせいなのだ、というのです。

引用:「モモ」P. 54

わざとついたうそばかりではない、という点。

ゆとりがないと、自分が自分の本心と異なることを発言し、行動していることにすら気づけないという悲劇について。

 

将来いつか、いまとはちがった人生をはじめられるように、いまから時間をためておこうという決心は、けっしてぬけない鉤針のように心にしっかりくいこんでいました。

P. 102

将来の選択肢を増やすように、今は我慢して勉強を、今は我慢して仕事を・・・。

 

時計というのはね、人間ひとりひとりの胸のなかにあるものを、きわめて不完全ながらもまねて象ったものなのだ。光を見るためには目があり、音を聞くためには耳があるのとおなじに、人間には時間を感じとるために心というものがある。
P. 231

今日も何も感じずに終わった、という日が来ないように、時間を感じられる自分でありたいと改めて思います。

 

皆様には、響くセリフはありましたかか?

 

「モモ」おまけ

ドイツの作家である著者のミヒャエル・エンデさんの有名な作品は「モモ」に加え、「果てしない物語」が挙げられます。

そして実はミヒャエル・エンデさんの奥様は「果てしない物語」の翻訳を務められ佐藤真理子さんです。
そのこともあり、ミヒャエル・エンデさんは日本にもよくいらっしゃり、日本と繋がりが深いようです。

また、「モモ」は全世界で発売されておりますが、
その人気は著者の出身国のドイツに次いで、日本は2位だとか。

イチファンとしては、なんだか嬉しくなるお話でした。